華南を巡る

福建土楼 客家の集合住宅

田螺坑土楼群内部。中央に井戸があり鶏が放し飼いにされている。煮炊きもここで行われる

田螺坑土楼群内部。中央に井戸があり鶏が放し飼いにされている。煮炊きもここで行われる

 かつて衛星探査機に映った映像を見た米国が核施設かと疑った要塞のような建築群、福建土楼(ふっけんどろう)。中原から南下した客家が建てたこの巨大な集合住宅は現存するだけでも約4万軒。このうち46軒が2008年7月7日にユネスコの世界文化遺産に登録された。

最も美しい田螺坑土楼群

側面の風景

側面の風景

上方からの田螺坑土楼群

上方からの田螺坑土楼群

 福建省の漳州市から車で約2時間半。緑深い山道を登るように進み、集落やバナナ畑、茶畑を過ぎると車はガードレールのない緩やかなカーブを曲がる。眼下に現れたのは巨大な建築群。数ある福建土楼(ふっけんどろう)の中でも最も美しいと称される田螺坑土楼群だ。
「この土楼を見なければ、本当に土楼を見たことにはならない」。そう評する研究者もいるほど、上方からのフォルムは美しい。方形を中心に四つの円形土楼が寄り添うように建つため「開花した梅の花」、もしくは四品のおかずとスープが置かれたように見えることから「四菜一湯(四菜一汁)」ともいわれる。
 田螺坑土楼群は土楼の中では比較的新しく、同省永定県から移り住んだ黄姓の客家が暮らし、大工も永定と同じ職人といわれる。核となる方形の「歩雲楼」が最も古く1796年に、次いで円形の4つの土楼が1966年までに建てられた。うち2楼は1936年に焼き討ちに遭い、1953年に再建されている。

均衡を保ち600年――裕昌楼

微妙な均衡を保つはり

微妙な均衡を保つはり

どっしりとした裕昌楼

どっしりとした裕昌楼

 田螺坑土楼群から四キロほど離れた所には、柱が傾いたまま六百年間均衡を保ち続けている土楼がある。「東倒西歪楼(東に倒れ西にゆがんだ楼)」といわれる五階建ての「裕昌楼」だ。柱が傾いた理由には諸説あるが、こんな面白い言い伝えもある。
 裕昌楼は劉、羅、張、唐、范の五つの姓の客家が大工を雇い建てさせた。建築中、大工の食事はこの五姓の家が順番に用意することになっていたが、ある寒波の日、夜半まで仕事をしていた大工の所には待てど暮らせど食事が来ない。あまりの寒さと空腹で頭がぼんやりしたのか、それとも腹いせか、大工はほぞが合わないまま柱を組み立てた。しばらくは誰も異常に気付かなかったが、柱は徐々に傾き、そのままの状態で均衡を保ち現在に至っている。また、本来は7階建てだったが、瓦を取り付けている時に6、7階が火事になり、縁起が悪いので5階建てになったという。

要塞の中の大家族

ドア前の靴に生活の気配

ドア前の靴に生活の気配

客家のおばあさんの部屋

客家のおばあさんの部屋

 要塞のような巨大な土楼は、福建省の山岳地帯にのみ見られる建築物。どこに行っても新参者の客家たちは、先住者から山間部の辺ぴな場所に追いやられたため、野獣や盗賊の襲来に備え強固な建物を築く必要があった。どっしりとした分厚い土壁、小さな窓は、外敵から家族を守るために設計されたものだ。
 無機質にさえ感じる外観だが、土楼の内部は生活のにおいに満ちている。通常、どの土楼も一階は厨房、二階は物置、三階以上が住居として使われ、吹き抜けの中庭には井戸と先祖を祭った祠(ほこた)がある。田螺坑の土楼もしかり。丸い壁に沿って建てられた三階建ての木造長屋。通路には赤いちょうちんと一緒に漬け物や洗濯物が干してある。
 広い中庭は団らんの場であり、料理や洗濯などの家事を行う場所でもある。食事をし、お茶を飲みながら談笑し、放し飼いにしている鶏を捕まえて絞め、調理する。そんな客家の普段の暮らしを、観光客がパシャパシャと写真に収めている。土楼の中には特産品の干し柿やお茶、生薬、お土産物を売る屋台もある。日常と非日常が入り交じったような、なんだか不思議な光景だ。
 3階の廊下で出会ったおばあさん。普通話は聞いて分かるが、しゃべるのは客家語だけ。部屋を見せてもらう。2畳半ほどの広さの部屋にはベッドと勉強机、小さな棚があり、棚の上には新品のフラットテレビがあった。日用品もなく、きれいに片付いた部屋は妙に殺風景。壁をくり抜いた窓にガラスはなく、観音開きの木の扉が取り付けていた。

観光地に変ぼう

連日押し寄せる観光バス

連日押し寄せる観光バス

文化遺産を祝う入口の飾り

文化遺産を祝う入口の飾り

 かつて、田螺坑土楼群や裕昌楼に通じる道は整備されておらず、その存在はあまり知られていなかった。近年、道路が開通し、比較的交通の便が良い土楼として徐々に観光客が訪れるようになり、世界遺産の登録で一気に注目を浴びた。
 現在、この土楼群やここからほど近い客家の村「塔下村」を観光するには入場券が必要だ。集落の入り口に入場券売り場が設けられていて、休日ともなれば観光バスが次々と乗り入れて来る。
 福建土楼の多くは現在も客家たちが暮らしているが、世界遺産に登録された土楼は政府の管轄下に置かれている。これまでのように住居として使用すると建物が傷むため、世界遺産となった土楼の住民たちはほかにも家を持ち、土楼でのみ暮らしているわけではないという。

東方のユダヤ人、客家
 客家(はっか)は黄河中流、下流の「中原(現在の河南省の大部分と山東省の西部、河北省、山西省の南部)」に居住していた客家語を基本言語とする漢民族。戦争や歴史的要因により東晋代末(300 年代初め)から清代末期の1000 年以上にわたって5 回の大規模な南下を行い、四川・江西・福建・広東・海南の各省と広西チワン族自治区、台湾などに定住した。「客家」という呼び名は、戦争で最初の大規模な移動を行った際に戸籍を失い、移り住んだ先で新しく取得した戸籍が「客」と呼ばれたことに由来するといわれる。
 客家人は開拓精神がおう盛で互いに助け合い勤勉。浪費を善しとせず、どこの地でもよそ者として扱われた苦い経験から外部の人間や思想をあまり受け入れない排他的な一面を持つ。南下した客家が、それぞれ同姓で集落をつくる傾向が強かったのもその表れだ。
 世界の客家は約1 億人以上。「東方のユダヤ人」ともいわれ、太平天国の乱の洪秀全、清朝に抵抗して台湾に渡った鄭成功、鄧小平や宋家の三姉妹、台湾の李登輝、シンガポールのリー・クアンユーなど政治家や財界人も多い。

参考資料:『永遠的家圓– 土楼漫游』海潮芸術撮影出版社、『品客家土楼』天馬出版社、『客家民俗文化漫談』武陵出版有限公司など


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